渇望はエロス


たまたま見つけた天命の暗号という本

図書館で本をかりて
必要なページだけを読んだらおしまいなわたしが
珍しく全部読み切った本

 

 

私自身は
SMクラブでプレイしていたとき
明らかに

 

「これは天職だ」

 

 

と感じることが度々あって
その認識を深めていたので
「天職」や「天命」といったものは
あるに違いない、っていうスタンス。

 

 

 

この本は
天命に至るまでの道を
わかりやすく分析しているので
そういったものに出会いたい、
そんな世界で自分を生きたい、っていう人には
とっても良い、と思う。
私自身は
「超感覚派」とでも言うのかな(笑)
カラダやココロ、魂で感じ取って道を選択していくことのほうが多いから
こうやって
丁寧に言語化されていると
「ああ、こういうことがココロで起こっていたんだな」って辻褄のあう感じがしました。

 

わたしが人生で
天職を意識したのは
SMクラブが最初だったけれど
それはその中に

 

「わたしがわたしとして生きることを楽しめる場所」

 

「わたしがわたしとしての才能を生かせる場所」

 

「わたしがわたしの情熱や衝動を持てる場所」

 

 

といった「エッセンス」が含まれていたと思うんだ。

 

何よりも「心からそれを好きで、楽しいと思える」といったことが最初だろうね。

 

つまり
それらの要素が揃う場所
そこに「天職」や「天命」があり
そのエッセンスから
自らも創造することができる、っていう感じでしょうか。

 

 

基本、アルバイト始めた10代から、それを基準にお仕事を選んでいるから、

長期間働いたもので「つまらない」ものや「我慢が必要」なお仕事は

ひとつもないんですけどね✨

 

 

 

SMクラブに限らず
わたしの感じた直感の中から
「一体、そう感じさせたのはなんであろうか?」
というところをじっくり観察していくと
天職、天命が見えてくると思うのです。

 

 

そんな今朝は
スーパー銭湯が出てきて
ケーキを作るという
不思議な夢の超大作だったのですが
目が覚めたら

 

渇望は重要だ、と

 

 

完全に自分の渇望(欲望、衝動ふくめ)を

受け入れることができたのです。

 

 

「欲張ったらいけない」

という認識
信念がしみつきかけている人って
結構少なくないと思うのです。

 

数年前に参加した
ブッダが悟った瞑想
ヴィパッサナ瞑想でも
渇望は余計なもの、として扱われている。

 

 

そこから「渇望は重要だ」に思いを戻すと

 

私自身は
SMクラブにいたとき
すべてを愛する、ということをしていたんですね。

 

こう書くと
「相手の言動がどうであれただ何もせず受け入れる」

っていうニュアンスでとられることが多いのですが
違うのです。

 

自分の中から生まれるすべてを愛するんです。

 

批判しない、

抵抗しない、

嫌わない、ってことでしょうか。

 

 

その中には
怒りや悲しみや憎しみ、といったいわゆる「負の感情」も含まれるのですが
一度感じてしまったものは
自分の中からすべて生まれているわけなので
自分の中にあるのです。

 

外側は
単に
その感情を気づかせる触媒として存在していただけで
外側のことは
ただ、そのままで存在しているんですね。

 

自分の中にあるものに抵抗したり、
見ないふりをしたり
嫌がったり、
しようがしまいが、あるんです。
これらがもしもね、
自分に与えられた重要な才能のひとつだとしたら?

 

抵抗しているあいだ
自分の本当の力は流れることがないんですね。

 

 

そして
自分に対しての「誤った認識」にもつながってしまうんです。
誰のために生きるのか?
誰のための人生なのか?

 

 

もちろん
世界に貢献する、
人々に奉仕する、ということを「自らが選択する」ことも人生のひとつです。

 

 

でも
自分のすべてをながめてあげて
自分で受け入れてあげる、ということは
自分を知るうえでも重要なのです。

 

 

 

長距離ランナーか
短距離ランナーか
自分を活かせる場所を間違え、
間違えるばかりでなく、
できないことを克服しよう、と
適正と別のところに躍起になって時間をかけていたらどうでしょうか?
とれたはずのメダルも
遠い夢に散ってしまう…かもしれないですよね。

 

 

 

 

そしてわたしは
起こること、現れるヒト、モノ、コト、を受け入れることを楽しみながら
目の前の人にも自分にも正直に
愛をもって生きていたとき
「天職である」と感じたのです。
それがとても心地よく楽しかったのです。

 

 

すべてを愛する

ということに心地よさを感じた、っていうことから
わたしの中から生まれる渇望

 

これも
わたしにとっては
必要なことである、と感じざるを得なくなり
それを解消すること
つまり
渇望=欲望や衝動、情熱から現実を形作っていくこと
それこそわたしの生の目的のひとつのような気がします。

 

 

また、自分の中に沸き起こる渇望というものは、

自分の中でしか起こり得てないことも多く

それらの中には自分の人生を構築する重要かつ明快な答え、道筋があると思います。

 

 

 

そもそも
欲張ってはいけない、という思いや
欲しいものを我慢しなくてはいけない
という思いって
なんのメリットを生み出すのでしょうか?

 

 

目に見える範疇で考えると
経済活動は円滑に回らなくなるし
良質で高品質で
クオリティの高いものは生み出されなくなるでしょう。
求めるものに対して
忠実に貪欲に取り組むと
欲望というものは
いずれ
昇華され
ただ純化されたものだけが残ります。

 

 

これは
思い切り欲望を追求すると必ず感じられると思います。

 

現代の世の中は
当たり前の欲望

 

性欲や食欲、物質欲も含めて
「罪悪感」を伴わせて得るように
仕向けられている気がします。

 

 

例えていうなら

美味しいものを食べる
=太る
=悪いこと

のような。

 

 

だけど実際
食べ放題など行ったとしても
肉体が「もういーよ(・∀・)」って
声がするもので
思ったほど
暴走できないものです。

 

 

わたしがまだ精子でウニウニしていた時代
わたしは「生への渇望」というものを抱いて邁進していたと思うんだ。
そんなわたしを
まるごと卵子に迎え入れてもらうことで
この人生が与えられたのならば

 

渇望こそ生を動かす力=エネルギーであって
受け入れること=生が始まるためのファクター

 

なのではないでしょうか。

 

思う存分渇望して
それを多いに堪能しましょう💕

 

それこそが

 

「煩悩即菩提」

 

愛染明王の真言にもつながるのだと思います。

煩悩即菩提、という真言を見た瞬間、

わたしはとっても腑に落ちたのですが

これこそわたしが言う

「エロスは生きるパワーだ」

ということに通じると、魂が感じ取ったからに他ならないと思います。

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さてわたしは
セクシージープ活動で
アメリカのジープの聖地
モアブとルビコンと走ってきて
いま
非常に興味をひかれるエリアが

 

 

Baja Californiaなのです💕

 

 

ドキュメンタリーがあったのでかりてきて
さっそく見てみようとしたら
映像が素晴らしすぎて
とてもじゃないけど仕事の合間に見るには勿体なさすぎるので
お仕事ざっくり終わらせてゆっくりみようと思います。

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感じる力は
とっても重要。

 

 

バハへ走りに行けるように
今宵は
数年先までの
「自分の人生プラン」にわくわくときめこうと思います✨

 

 

感じましょうね。

 

 

 

感じる主体

 

それが
あなた自身だから。

 

 

人の言うことは
その人の思いであって
あなたの思いとは違うから。

 

 

もしも
誰かが自分を傷つけ
裏切るのだとしたら
それはそう思いたいだけであって、
本当の意味でそれができるのは
唯一
「自分だけ」だと
今は
はっきりわかります。

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今週も
楽しくぷりぷり(笑)
プレイしてまーす💕

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