幸せを生み出す源はどこか☆

旅するセクシー
響香です☆

風俗というのは
サービス業です。
サービス業っていうのは
「人を幸せにする仕事」
私はそう思っています。
ですが
「私が幸せにしてあげる」
というのはちょっと違うな、って思ってて
それというのも
本当に本当に本当に
全面的に「幸せ」というものを感じるのは
主体である自分自身でしかない、よねー。
「あなた今幸せでしょ」
って言われても
「え?なにを根拠に!?意外とそーでもないかも…」
という言葉が浮かぶことだってあるかもしれない。
誰が見ても幸せそうには見えないとしても
本人が幸せを感じていたらその人はとっても幸せな人ってことになるし。
そうなると、
「こうであれば人は幸せでいられる」
と人々からイメージされやすいメジャーなライフイベント(結婚とか就職とかまあ節目にあるような派手目のこと)であっても
本人がそれを幸せと感じるかどうかは全く別もの、ってことで
「世間のいうところの幸せ」に
乗れていないからといって、
別にそれがどうだというのだ、ということでもあるよね。
人は
自分で幸せを感じることでしか
幸せになれない
幸せでいられない
そう思っているから
私にできることは
その人が目指す幸せのお手伝いをすること、までなのだろうな、と。
そもそもさ、私が誰かを幸せにする
そんなおこがましいことあるでしょうか。
そんなに力があるかいな(笑)
そしてもしも、
私がいなければ幸せでいられない
って
なったとしたら
そんな幸せって
本物なのかい?
私がいることも幸せ
私と会ったりプレイできたり、何かで関われることも幸せ
そうなると
その人の幸せのひとつに加われて光栄だわ、って感じで
納得できるんかな。
私がSMクラブに入ったことが
ボンデージ毎日着て
いろんなSMして楽しみたい❤
ってことだったけれど
それは結果、
いろんな人を喜ばせることにつながった。
「我欲(私の幸せ)が他を満たす(他者の幸せ)」ことに
たまたまつながった、っていうことなのよね。
これがきっと
自然で良い形なのではないかな、と。
私は
幸せの責任というのは
本人にしか帰属していない、と思っています。
今までレッスンでもプレイでも
カップルさんからそれぞれのお話やお悩みを聞いたり
ちょっとした愚痴のようにパートナーのお話を聞いたり
いろいろしてきた。
そして
私の両親
彼らの
幼稚な夫婦ゲンカを
小さい頃から観察していて
今、結びついた結論がある。
基本的にこじれるカップルさんや
トラブルになるカップルさんのケースは
「自分の幸せの責任を、他人にまかせている」人たち、というのかなあ
他人にまかせているから、
自分の幸せが他人次第になっちゃうの。
ちなみに
「だれか幸せにしてー!!!」
って言ってる人は
さげまんさげちんです👎
空っぽちゃんだから、
満たしても満たしても際限もない。
最初は純粋なときめきによって
「あの人素敵だな✨✨✨」
そう思っていた気持ちが
願いが叶っておつきあいできて
関係が築かれ始めてくるにつれ
「なんで俺を幸せにしないんだ!!!」
「どうして私を幸せにしてくれないの!!!」
そうやって
相手に「自分の幸せの責任」の所在を明け渡したあげく
ココロで勝手に「相手のやること」として積み重ねていた依存心が爆発して
「自分を満たしてくれない相手」
に対しての不満が募ってくる。
そこですれ違いが起こる。
つまんないのはあなたのせい
わたしが不幸なのはあなたのせい
それって
楽しくないじゃない、本人がさ!!!!!
ココロが本当に自立していて
健全な関係を築けていると
相手にむやみにのせないし
むやみにのられないのです(笑)
責任を乗せる側も未成熟なら
乗せさせてしまう側も未成熟
私もこうだった( ̄▽ ̄;)
そうだったんだな、ってことに
ついこのあいだ
本当の意味で気づいたの。
いろいろあった中で
ココロが知らないあいだに疲弊して
それで傷ついたところにさらにとうがらしを刷り込まれたようなことが増えていって
どんどんどんどん
恨みがつのっていった💣
そして
「おまえもまたそーか☠」
と、
自分の中の鬱屈した気持ちを肯定させるようなことをたくさん起こして
それで1人でぷんすかしていた。
私は
自分も楽しい半分ではあるけれど
軸を外側にもっていって
私が幸せにしてあげる、という気持ちを押し付けていた
そしてそれを受け入れられないから、と
自らが選択してやっていたことの結果にしょげて
人を非難していたんです。
気づいた時は目から鱗ー!!!だったけどショックだったよ(笑)
あー、けっこう依存心、って。
ここもね、誤解されると違うしこじれるんだけど
依存してもいいんだよ。
そういう時もあるし。
頼り頼られ、という関係って
人の社会ではあるものだし、
それが健康的にできてこそ、
クオリティが高いことができたり
新しい創造が始まったりするのだから、
それは問題じゃないんだよね。
私は気づいて、そっかそっか、と腑に落ちたんだけどね
もしも、
これを読んでくれてる人が
「自分もそうかも」
って思ったとしたら
責めない。
絶対に責めない。
一旦、その欲望とか、そうしてきたことをすべて
受け入れてね。
このステップを踏まないと
次には進めないです、いつまでたっても。
そこを受け入れてから
自分を誰かに満たしてもらいたかったんだ、っていうことを受け入れてから
次に進むのです。
そうしたら
自分は満たされていなかった
っていうことに気づいたんだから
今度は「満たしてあげる」ことをすればいい。
自分が「楽しい」「幸せ」「嬉しい」っていうことをいっぱいやってあげて
自分をたっぷり満たしてあげる、というプロセスだよね。
楽しくないと
つまらない、
つまらないなら
楽しくすればいいんだな💡
ってこと。
でも、誰かのせいにしたまんまでいるとさ
その人に
復讐してやろうーとか
悪かった、って気分にさせてなんかやってもらおう、とか
そういう「コントロールすることで自分を満たす」
っていう気持ちに持っていきたくなる人もいると思うのよ。
まだゆるしてないからね!!!みたいなー(笑)
そういうのやっててもきっと疲れちゃうし
一番大事な「今」が
なんか怒って過ごしてたなー、って
つまらない歴史になっちゃうから
さっさとやめて、
その人はどーでもいいや
少なくとも
自分は自分を幸せにして満たしてあげよう
ってことを決めたら
そこからようやく
幸せの権限ってものが
自分に帰ってくるんじゃないのかな???
そして自分をいっぱい満たしていったら
その人自身が
「幸せの源」になって
そうなってくると
誰かに幸せにしてもらおう、なんて気持ちはどっか行っちゃってさ
幸せでいることが当たり前、っていう状態でいられるはず。
こうやって
つらつら書くのは
浮かぶから書いてる、っていうのがあるんだけど
本当は
「楽しもう🎶」
の一言でいいと思うんですがー
あれこれ悩みがある場合に
アタマを説得するための腑に落とす「ことば」というものも必要なのかもなー、なんて思う。
 
 
最初の写真は
昨年の冬至に行った大神神社。
何回か行ったときに
硬派で厳し目???とか思って勘違いしてたみたい。
 
 
この時の帰り際
お参りしてから参道歩いていたら
 
「今まで自分がやってきたことを全部認めてあげなさいな。
よくやってきたね、ここまで。
一心不乱にがむしゃらにひたむきに
目的のために全力で必死になってやってきて
誰にも気づかれないで1人でずっと。
そういう自分をいっぱいねぎらってあげなさいな。
そしてこれからは感じる時間を増やして、人生を楽しみなさい。」
 
 
っていうメッセージが届いて
すっごくあったかい感じになって
びっくりしたよ。
 
すんごい大きくて優しい神社だった。
 
厳しくないんだと思う、世界は。
 
この結論は
タイトルからいくと
まるで接点がないようだけどね(笑)
 
自分がどこにフォーカスして世界を見ているか、
どんな色眼鏡をかけちゃっていたのか、ってことに尽きる気がするわ。
 
とっくのむかしにわたし、いろいろコンプリートしてたんだと思う。
遠回りした気がするけどまあいっか。まだ人生続くし。
 
大神神社いいよねー
わたし結構ここ好きなんだー
格式ある感じと野趣あるムードが同居しててすごくいいのー
 
 
 
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