ハロー
旅するセクシー
響香です☆
響香のしたたるエロス哲学Erosophy
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∞☆Sexy Jeep☆Kyoukaのラリープロジェクト2019☆∞
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レイプサバイバーとして:限界突破の続き
私は小さい頃から
自分の居場所(この時は家族)が嫌だった
両親はけんかばかりしていたので
その場所にいることに強い不快感があった
さらに
私たちこどもになにかが起こったとき
母親も父親も
私たちを責めることしかしなかった
小学生だった頃のある日
友達と歩いていたら
後ろから声がした
「ねえ、パンツ見せてよ」
びっくりして振り返ると
大学生?くらいなのか思い出せないけれど
1人の男の人が後ろから歩いてついて来ていて
私たちはびっくりして走って逃げた
普通の
ごく普通の家だったら
今日ね、こんなこと言う人がいたんだよ!!!!怖かったよ!!!
と
親に報告したのかもしれない
私はそれができなかった
なぜか?
私が言うことのすべては
怒られて
「私が悪い」ということにさせられてばかりだったから
親になにか話すことが嫌になった
この人たちになにも思い入れがなく
私を助けてくれることはない、と思っていた
でもこの時起こったことを
友達のMちゃんは当然お母さんとお父さんに話した
(そりゃそーだ)
Mちゃんのお母さんからある日
パンツ見せての一件を聞いて来たわたしの母親は
「あんたなんで言わなかったのよ、
Mちゃんはお母さんに言ってるのに」と
言わなかった私をなじて怒り狂うだけで
怖い思いをした私の気持ちを受け入れ、理解して寄り添う、とか
「大丈夫だったの?怖かったでしょ?」って声かけてくれるとか
そういうことは一切なかった
自分が知らされなかったということに腹を立てただけで
こちらの気持ちを理解できる人じゃなかった
私はどちらかというと
お父さんっ子だったんだけど
父の日に
大好きなお父さんの似顔絵を書いて
なかなかよくできたぞ!と嬉しくて家に帰ったら
思い切り
「なんだよこれ、お父さんかよ!」
と笑い出して
「全然似てないじゃないか」
と
子ども心がぽきっと折れるようなことを言ってのけた。
(それから大人になったある日
父の家にその似顔絵があることを見つけてたずねたら
「この絵がすごい嬉しくて気に入ってるんだ。せっかくお前が書いてくれた絵だし」って言われて
当時の父は嬉しかったけど素直にそれを表現できなかったんだな、ということはわかった)
このときの
父の似顔絵に関わる思い出は
小さい頃だったら
だれでも起こりうるようなことだから
特別なことでもないけれど
その後次から次へと否定が続いていくことになる
ある日私がおもしろいことを考えて
こういう仕事を始めたらみんなにウケる、とか
新しいアイディアを嬉しく話すと必ず父はこういった
「お前なんかなにをやったってうまくいきっこないよ。
そんな夢みたいな話ばかりして。
お前のところなんかに行くやつだれもいるわけないだろ。
おまえは家でじっとしていればいいんだよ。
人に迷惑かけるんだから」
さらに
父も母も
よその家の子や友達ばかりをほめて
私のすべてを否定してきた
「よその子はみんなできるのに、なぜあなたはできないの?」
「誰々ちゃんみたいな子は明るくていい子じゃないか
ああいう子がお父さんは好きだなー
お前はだめじゃないか」
「つまらないからしゃべるな」
「私にえらそうに指示してこないでよ」
「そんな格好してみっともない」
「お前みたいなやつは恥ずかしいんだよ」
小学校1、2年生の頃だったかな
ある日
私が喘息の病気中に
夜中おかゆを食べていた
なにが発端だかわかんないけれど
両親がいつものごとくけんかを始めた
2人がけんかを始めると
どちらも感情的になりすぎて論点がずれて
お互いを責めることしかしない
しかも
毎回毎回おんなじように過去のことをわーわー言いだして
子供心に
どうしてこの人たちは何度も最後はおんなじことで言い争ってて
毎回解決もしないし進歩もしないんだろうって
本当に不思議だし
くだらないばかばかしい喧嘩だな、って思ってた
しまいには
こうやってけんかをすることがこの2人の愛情表現みたいな
コミュニケーションなのかもしれない、って思ったし
そして大体
けんかが始まると
父親も母親も怒鳴り始めるんだけど
母親の方がクレイジーっぷりが甚だしく
たとえ深夜であっても
親戚のおばさんに電話をかけ始めて味方にしようとしたり
玄関のドアを思い切り開いて
隣近所どころかその地域全域に聞こえるような状態で怒鳴っていたので
この人たち本当にどうかしてる、って
私は本当にいやだった
しかも母親は
歌が好きで歌を習っていたので
声の大きさは普通の人より大きかった
この日の晩も
同じように最初は軽い喧嘩だったみたいなのが
だんだん2人ともエスカレートしていき
またかー、と
私は子供心に見ていて思ってて
風邪ひいてるのに疲れるなあ、と
いつものことにうんざりして
自分のおかゆを食べることだけに意識を向けようと思った
だけどこの日の晩は違ってて
ある瞬間に父親が刃物を持ち出した
そしてその刃物をぶんぶん振り回して
母親のヒステリックな叫びはますます強まって
その光景を見た私の心はびっくりしすぎて凍った
恐怖より先に
ショック?
びっくりしちゃうの
こういう光景って
固まるの
こういう時って
言葉にならないのである
どうしてこの顛末が終わったのかわからないけれど
両親2人とも刃物などの怪我もなく
ただの夜に戻った
私は病の咳が止まらない体でおかゆを食べていて
その横では
私より小さい弟もしっかりその光景を目撃していて
私は自分も相当ショックだったんだけど
弟を守らなくっちゃって
ちびっこなりにすごく思った
私も怖かったけど
弟も怖かったに違いなくって
弟の心が心配だった
この時に
この2人には今後
なにがあっても頼らないでいいようになろうと
なんの助けも得られないだろうし
この2人は大人になっていないんだ、と思った
早く家を出たかったし
早く大人になりたいと
自立したいと思ってた
そういう思いもあったから
高校生の頃に
大学は実家から離れた場所に行こうと決めて
誰にも言わずにアルバイトでお金を貯めて
内緒で京都の大学を受験した
親はもちろん
東京の大学へ行くと勝手に思っていたし
どちらかというと
大学へ行くことにも反対だった
この家族と離れたかった
縁を切りたかったし
そうするつもりで家を出た
だけどいつもいつも
父と母の2人が仲良くなってくれたらいいな、と
ずっと思ってた
そうして家を出て
誰も知る人がいない身寄りもない京都で1人で暮らし始めて
アルバイトのお金で家をかりて受験もしたけれど
分割にしていた学費が足りなくなり
私は見たことのない求人誌を開くことになる
老舗の旅館とか懐石料理やとかビアガーデンとか
他のアルバイトもしていたけれど
学費を作るためにはとてもじゃないけれど足りなかった
風俗嬢にいたるまでの逡巡は
簡単に他の記事でもさらっと書いてるので細かくは書かないけれど
大学時代に早朝からヘルスで働いて学校へ行き
なんとか生きようとしていた私に
母親は「お金が足りない」と送金を要求してきた
母もなにか問題を抱えていた人なのだろう
そういう風に
しっちゃかめっちゃかだけど
這いつくばるようにでも人生を作り始めて
自立していた私は
その時は自分の中にある
悲しさとかショックを
とっくに越えている、と思っていた
でも実は
ひとつも越えらてはいなくって
あまりにも
不安定なことや
恐怖にまみれたことや否定されたことが
日々の生活での「当たり前」になっていたから
越えたというよりは
未知のこと
知らないでいたことばかりだったのだ
自分は「傷」とも「闇」とも思っていなかった
小さい頃から
消えたい
この世からいなくなりたい
って思ってて
毎晩のようにお月様を眺めては
いつまでこんなところでいなくちゃいけないの?とたずねてた
父親からは
お前なんて生まれてこなければよかったんだ、と
仕事をどうしたら進められるかな、と
力を必要としている時期に
存在も含めて全否定をされた
母も母で
「私が変な育て方したからごめんね」
という見当違いの謝罪で
今の私を否定された
小学生の頃に
クラスメイトがこどもならではのいじめを始めた時に
私はそんなの見たくもないし関わりたくもないし
不快だったから先生に直談判して
そのクラスメイトがいじめをすることをやめさせた
そのことを
家に帰って嬉々として母に報告したら
「よかったわね!」でも
「すごい!」でも
「やるじゃない!」でもなくって
「なんでそんなことするのよ、
あなたまでいじめられるじゃないの、
余計なことはね、するもんじゃないの」
と。
私が誰かにもらったものを
弟にあげろ、というのだけならまだしも
お前は我慢しろと
みんなにあげろ、と
私を後回しにしてなんでもかんでも人を優先させることを強制されて
最終的には
生まれてこなければよかったなんて言い放たれて
これがレイプを防げなかったことと
そのあと自分を責めることの直接的な要因になるのがわかる
レイプした人間が悪いのはどの目から見ても明らかなのに
私が悪い
でも
人から求められたものは
自分がどうであれ
差し出さないといけない
もちろん
言われたことだけが要因じゃなくって
そうしないと生きることができなくなるかもという恐怖で
差し出していたことも間違いない
自分の言動には
直感的に絶大な信頼があったにも関わらず
どこかで不信感も持っていた
でもその時は
自分では無意識にそうしてしまうから
理由もわからないフラストレーションが残っていた
そしてあまりにも
そういう自分や
そういう生活
そういう環境に慣れすぎていたから
風俗店で働き始めた時に
「なんでこんなところにいるの?」
「自分の価値がわかってない」
とお客様が言ってくることの意味もなにもわからなかった
この2つの言葉は
お客様に最もよく言われた言葉なんだけど
なにを言ってるんだろう?
価値ってなに?っていつも思ってたし
わからないこと言うなあ、と笑ってた
昨年私は
自分のフェチも取り入れた痴女DVDを作ったけれど
ここの社長もこう言っていた
「なんで風俗で働くの?
男の人に愛されて大事にされたらいくらだってお金もらえるのに」
???
何を言っているのかまったくわからない
私はそんな男の人なんて
見たことないけれど
愛されると
ただただ
ひっつかれて
私の願いも叶えてくれるわけじゃなくって
お金ももらえるわけじゃなくって
体だけ利用されて
うっとおしく「寂しい寂しい会いたいどこも行かないで」って
私があっちこっち飛び回ることも自由も奪われるだけでしょ
男の人の都合でしばりつけられて
こちらの気持ちは無視されるだけ
なにを言っているの?
男の人がなにかをしてくれる、っていう幻想すら持ってないけれどな
一緒にいたいかな?
う〜ん…
なんかの役にたつの?
学費作るのに
風俗で働き始めたって
大学で友達に話したとき
それまでの毎日で
なんにもそんなそぶりもないのにいきなり男の子から
「やらせてよ」って言われて
全力で断ったあと
その日以来口聞くことも一切なくなったりしたけどね
それが男の人でしょ
なんでかわからないけれど
風俗で働くと言うと
「セックスできる」って勝手に思われて
こちらは明確な目的があったんですけど…
なぜその発想になるのかな?
なにもしてくれない人に横にいられても邪魔なだけだよね…
こういうことが
自分の人生の「当たり前」として染み付いていたけれど
お客様とは楽しくコミュニケーションをとっていて
自分なりに「幸せに生きている」と
思い込んでいた
これが
「私、もしかしてずっと変な妄想?アイデンティティに染められていた?」
洗脳って、こういうことを言うのかなあ
っていうことに気づき始めたのは
レイプのあとの無気力を経て
ラリープロジェクトを始めたことが大きなきっかけだったのね
まさかこんなに心をえぐり出されるプロセスが始まるなんてね…笑
私、
ただドライブが楽しくて
ラリーって面白そうだな、って思って
冒険家になりたかったな、っていう小さい頃の気持ちがよみがえって
砂漠で日の出を見ながらコーヒー飲みたいな、って
そう感じたから「そうしよう!」って思っただけなのに
まさかだよね
でも、洗脳されていたんだと思う
当たり前であると思っていたことや
植えつけられていた自画像が
ちっとも本当じゃなかったかもしれない
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