旅するセクシー
響香です☆
自分の道とか特性を受け入れたら
あれこれ起こってる
という話を書いたつづき
http://naked-venus.com/?p=9029
巫病の症状には
「隠れたくなる」
ということもあるらしく
私は、これが強かった。
まあそう呼ばれる症状か、そうでないにしても
人生の転機なんて時期や自分にとって重要なタイミングっていうのは
ある意味で「産みの苦しみ」も多少はあるのだし
自分を余計な情報で振り回すのではなく
純粋に1人の時間を持って、
自分だけと向き合っている方が答えは出るからね。
だから、あまり人と接することができなかったね。
そもそも
13年前くらい
いろいろが変化していくサイクルに入る前は
新聞やら雑誌やら
取材という取材は全部受けていたし
完全に自分の仕事にコミットしていたんだよね。
だもんで、問題もなく、
ぐずつくこともなく
弱気になることもなく
全責任において
楽しく明るくいやらしく(?)
プレイして楽しんでいた、と。
それが
とあるきっかけによって
SMクラブをやめたことによって
すべての行動が
反転するのだー!
その時に
自分の感じが
元気にやっていたときと違うような雰囲気になってきた…とは思っていたけれど、
どんどんどんどん
内側にこもっていくような感じが強くなったの。
消えたい、っていうのかな。
あんなにがんがんやっていたのがいきなりね、
見られたくない
知られたくない
消えたい隠れたいいなくなりたいの大嵐よ(笑)
こそこそしたくなるの。
ニュートラルでもないわけ。
極端なのよ。
それまでのように
のびのびマイペースでできていたら、
昨年のラリーのときとか
ついぞこのあいだの自分のミスのように
思うようにできない、なんてことは
きっとなかったはずなんだよ。
それがね、
この「隠れたい」っていう感覚はかなり強烈みたいだったようで
とある日に遠方からお客様がきてくれたとき
「○◯の記事見て会いにきたかったんだけど
全然HPが出てこなかったんですよ」
とか言われちゃうの。
この「全然出てこない」っていうのがどれくらいか、っていうと
半年以上出てきてないんだよ(笑)
なにそれー( ̄▽ ̄;)ネットなのに!?
コミットしているつもりなのに
なにかがずれていたんだよね、
それで
たどりつくまでを複雑にしていたみたいで
つまり
隠れたいから人を遠ざけていた、ってことなんだよね。
それは
やれどもやれども空回るはずだよね。
そして
現実の現象として
「だからもうやらないんだってば」
っていう理由を、
いかにも正しいかのように述べることができるようになるための現実を
たくさん作っていく、っていう
狡猾なんだよね。
がんがんやっていたあとの数年後
今から10年前?くらいになるのだろうか
前も書いたことあるんだけど
私、至高体験するの。
もともと
自分の直感力はかなり信頼していた私なんだけど
もっと直感びしばしに磨きたくって
感覚を研ぎ澄ませそうなことを
日々やっていたときがあったの。
なにをするか、っていうと
日々の生活では瞑想もヨガもすごいやってて
少しだけ菜食だったかな
(菜食は感覚を鋭くする。
でもその反面で感受性高まりすぎるから注意も必要)
とにかく「身体の感覚も意識も「今」っていうのに集中する」っていうことなんだけど
ひたすらね、
座っているお尻の感覚とか、
足の裏の感覚とか
細かく細かく
「ただ感じる」っていうのをしていたの。
ちょっと直感磨きたいなー、っていう人は
これをしているとだいぶ感覚は研ぎ澄まされるからぜひやってみて👍
ある日
渋谷のセンター街で
ランチを食べようと、
パスタ食べにお店入ったの。
オーダーして、運ばれてくるまでのあいだ
それまでと同じように、ずっと
「いま」を感じ続けていたわけだ。
そしてしばらくしたらパスタが運ばれてきた。
おいしそー、いただきまーす!
って
一口目のパスタを口にいれた瞬間
全部の感覚が溶けちゃったの😵‼‼
完全に「いま」にいちゃって。
全部(なにもかも)とひとつになったような感じになって
時が止まったような感覚になって
でもね、
すっごい「永遠」なんだな、ってどこかでわかってるような感覚
窓側の席に座っていたから
眼下にセンター街が見えて
いつもの風景なんだけど
いつもと見えかたが全然違っててね、
例えようがないのだけど
人々が
大地の裏から磁石で動かされてる砂鉄?のように動いていて
時間が止まってて永遠なのよ(わかんないよね)
で、色彩がとんでもなくビビッドではっきりしている。
そして私はどうかというと
目から勝手に涙ががんがん出てきちゃって
内側からこみあげてくるのが
なんともいえない至福、というか
多幸感?というのか
アタマの中はとーっても静かなんだけど
どこかで自分が客観的に見ているような気もしてて
だけど明らかに
カラダもココロも意識も全部が
完全な「いま」にいてしまって、
えらい状態になったの。
フォークをもったまま、あっちこっちに目をやるんだけど
「今この瞬間」にある世界の奇跡、っていうものを目の当たりにした。
「すべてが存在しているのが今なんだ」っていうことがわかった。
これはつまりね
「存在している」=「存在がゆるされている」っていうことであって
「今」を構成している要素のすべて、ってこと。
どれひとつ欠けても、「完全な今」になれないし
いまあるすべてがあるからこそ「完全な今」なんだ、っていうことが
問答無用に伝わる感じなんだよ。
否定ゼロです、ゼロ。
というか、
すべてがあって、すべてがないの。
たとえば
おとこ、おんな、がいて
おじさんおばさんがいて
おみせとか電信柱とかあって、
よろこび、とか
楽しさ、っていうのがあるよね。
あるんだよ、そこに。
あるんだけど、
ふーん、って感じの
意味を持っているには持っているんだけども、
「ただの存在」っていうかなあ。
あーだれかこの感じを体験してきてー!
伝わってほしいー。
はかってないからどれくらい続いたかもわかんないんだけど
数分それが続いたら
ふっっと、
いつもの自分の感じに戻ってね、
おおおおおおわあああああああ??????????
って
どきどきしながら涙を拭って(笑)パスタを食べた。
(パスタをフォークに巻き付けてる途中でその体験がやってきた)
覚せい剤とか、ドラッグとかしたい人って
たぶんこの感覚につながりたいんだな、っていうことを思った。
私はナチュラルにつながってしまったけど(笑)
とにかくこの感覚は
「わー、ずっとこの状態でいたいー」
って
思うくらいなんだけど、
実は私のアタマの中は
ちょーざわつき始めてしまってね。
「これ、この状態が続いちゃったらわたし、
普通の生活ができなくなる…」
っていうのが
怖くなっちゃったの(^_^;)
なんでか、っていうと
すべての欲からも思考からも完全に解き放たれちゃってて
なにもないわけ。
なにもないのに
すべてもっている、っていうこともわかっちゃってるの。
それで
いつもの自分の感じになった「アタマの中」は
騒ぐよねえ。
えっ?
お金とか?
仕事とか??
どーすんの?
どーなるの???
って。
満足しきっちゃって
幸せにひたりきっちゃったら
わたし、
なにもしなくならない???って。
やばくない?
稼がなくなったら食べていけなくない???
なんか私、このままおかしくなっちゃうのかな…って。
「当たり前」のことのように感じられる「アタマの中にある不安」が
むくむくと
肥大化したわけ。
それがちょー怖がっておびえちゃって
すごい恐怖だった(笑)
起こったことにもびっくりしたけれど
それが続いたらどーなっちゃうの???ってことがね、恐怖。
至高体験自体は、さいこうに「至福」って感じ。
あのビビッドでクリアな視界を取り戻したいもの。
でも
きっとアタマが本気でびっくりしたみたいで(笑)
または、
びっくりさせて、そこから遠ざけたかったみたいで
それから、瞑想っぽいこととか
ろくにできなくなってきちゃったの。
「いまにいる」ってことがしづらくなっちゃったの。
体験しているときに私はわかったの。
私はきっと
これを知りたかったんだ、っていうことを。
でもね、
怖くなったの、すごく。
だって、
こんなに「簡単にゴールしていいのか?」って。
覚醒、と書くと
怪しい薬(笑)の印象になるけれど
すごく難しくって
すごく特別っぽいじゃない。
簡単にそうなっちゃだめ、って思っちゃわない?
そんな風に思って、
ぜんぜん「いま」にいさせないのはすべて「アタマ」なんですけどね。
「いやいやいやいやいやいやいやいや
そーんな簡単にハッピーじゃだめだろうー
そんなわけないだろう」
って。
よく悩んで入る人はいるよね
口癖が「むずかしい」の人もいるよね
なぜ?
ほんとうに??
多くの人が
「今すぐ」簡単に、
実はけっこう簡単に(っていうか、「そうだな」と思えばその瞬間に)
本当にハッピーな状態で
毎日を過ごせるのに
社会のせいだ
あいつのせいだ
なんのせいだ、って
不幸な被害者でいようとする。
苦虫噛み潰してこう言いたいわけだ
「だってこんなに努力をしてきたんだから、
やがて幸せになれるだろう」
って。
ちなみに、このあいだ、ショックだー、って取り乱したわたしも
これまでテンパったりしたわたしも、
全部この「被害者モードの脳みそ」が取り乱したの。
それでわーわー言ったらいいんだ、って
誰の真似だかどこで覚えたんだか知らないけれど。
それがひとつのきっかけになって
あれこれ気づけた。
違うじゃん、これ!
わたし、なにやってんだ( ̄▽ ̄;)???って。
それで今はもうその感覚からは脱出完了していて
あと少しもやを取っちゃえばOKで。
めちゃめちゃ落ち着き取り戻してる、っていうか
もうここから先は大丈夫。
自分に戻ってきてるから(笑)
でもね、
もしも、もしもだよ、
あの至高体験をね、
誰もが
世界中の人が
同時に感じられているんだとしたらね
悩みって、なにひとつこの世界からなくなる。
あと、人や社会やだれかのせい、っていう思い込みの被害も
本気で一切なくなる。
人はいかに
日常で「抵抗」を繰り返しているのか
委ねる、ということができないでコントロールしようとしているのか
いかに「アタマ」に頼って生きているのか
それから解放されると
すべてから自由になる。
すべてが「ただ存在」としてそこにある、っていう状態なんだよね。
善悪とか超えて(そういう概念なんてない、って感じの領域)
あの瞬間にはすごい答えがいっぱいあったのよ。
でも、私のアタマはあまりの体験にすっかりキョドってしまって(笑)
それから自分が少しおびえてずれちゃったのね。
その体験の前までは
もっと「スーパーナチュラル」な日々を送っていて
SMクラブ時代に2台持ちしていた携帯を両方とも解約して
そうとうアナログなところに自分を置いて
実験していたの。
本当に縁があるものとつながっていくときの「サイン」って
どういう感じでくるんだろう、とか知りたかったから。
それが突如として訪れてしまった
「悟りの一瞥」と呼ばれる至高体験(今に完全に在ること)によって
アタマが「危険」「今までの生活を捨て去ることは恐怖だ」という風に送り込んできた。
しかも、
その恐怖を取り去り切っていないで
中途半端に表に浮かび上がってきた段階のまま、
至高体験で得てしまった
「こだわりのない」感覚とか
「すべてがOK」のような感覚だけ魂が受け入れちゃって納得しちゃっているから
変な感じだったのよ。
なんていうのかしら、
うーん
例えて言うならそーだなー
もうとっくの昔から中学生なのに、
ランドセルしょってる自分こそ自分だ、って思い込んで入るから
だめだよ、ランドセルしょってないとダメなんだよ、って
変化とかにアタマが抵抗している、って感じ。
あー、ちょっと違うかなー…
今日のテストは簡単ですよー!!!きっとすぐ解けますよー!って言われて、
えー!??
それじゃあ手応えなくってつまんないから、
目隠しして鉛筆削るところからやらせてくださいよー!って
わざわざ複雑化して
簡単には楽になれないようにしている、っていうのかしら…
この至高体験のようなことも
今に至る変化の流れにあって
先日の「受け入れる」っていうことから考えると
至高体験も恐怖の感覚も同列として
受け入れていくものなんだよね、ってだけの話なんだけど。
受け入れると症状が緩和する、っていうのは
すごい腑に落ちるよね。
だってさ
抵抗する、ってことは
こちらが力入ってがんばって、
そうしたら、向こう側も同じ力で反発してくるわけでしょ。
でも抵抗しないで受け入れたらさ、
なんの力もいらなくなるんだよ。
それがわかるというのに
なぜに人はこうも
抵抗しがちなのでしょうねー(笑)
そういうことも含めて
五感を磨いて自分のハッピーを自分の内側から感じましょうね、っていうのを
プレイやレッスンやリトリートでやっているんだよ。
幸せは
もうたったいま、ここにあるよ、っていうことをね、
やっていくわけです。
すべての中でね。
というわけで
「簡単に幸せでいいんだよ」ってことか
「なにかのせいにして被害者でいたい自分ってなぜだろう?不自由にしてなぜ幸せを遠ざけたいのだろう」
っていうことのどっちかを
次に書きます。
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