旅するセクシー
響香です☆
突然ですが
「願いを叶える」っていうことについて。
我が家の「ジャギ」ことお母ぴいと電話で話していて思ったこと。
なぜこの人は、いつまでも同じことを言いながら、何一つ現実にしていないのだろうか。
おかあぴいは
自分で長年続けてきたとある趣味を一応お仕事として活動していて、
それに関して
「わたしはこうしたいんだけど」
っていうことを
つらつらと語る。
それ以外にも
実生活での夢があるようで
それについても
「いつか◯○するから見てな」
的なことを言う。
(ちなみに、彼女は矢沢永吉の大ファン)
ここまでは別にありきたり、叶うといいね、がんばってね!という気もするのだけど
問題は
その「スパン」にある。
どの話も
私が小さい頃からずっと聞いていることなのね。
多少の未来予測に加えて
現実的なことを計算していったら
どの願いもとっくの数年前に形になっていて
そこから新しい展望がひらけていてもおかしくないようなものだというのに
どれもこれも、その時からひとつも変わることがない。
その話を何度も何度も
数年の激しい仲違いの期間がブランクとしても
そのブランクあけてもまだ言い続けている
「いつか、いつか」というけれど、
その「いつか」って
いつなのさ!!!!!
それに対して
異常さ
というものを感じたのです。
むしろ、
母が口にしていた夢のうちのひとつを
兄弟がすでに形として成し得ていたりして
おいおい、かあさん、どうしたんだい?
もしかして…言ってるだけ?
って感じなのです。
夢や願い、っていうものは
だれに属するか、っていうと
明らかに「自分自身」に属するもので
それは自分がスターターとならないと
発動しないものなのよね。
最初に芽生えた小さな情熱や衝動、欲望
「これしたい!」
「ここ行きたい!」
「これほしい!!」
それを次にどうしていくか?
そこでまず最初に
結果の分かれ道ができる。
第一のエッセンスね。
それとけっこう重要なことが
「どれだけ自分を知っているか?」
っていうことなのです。
自分の価値観はどこにどうあるか、っていうことを知っているか、どうか、ということとも言えます。
願いを叶えられない時というのは
自分のどこかに
なんかしらの「言い訳」を用意しているものなのですよ。
妥協、とも言うべきか、
いや、
やっぱり「言い訳」ですね。
「忙しい」
「時間がない」
「◯◯やってたらできなくなった」
「だって、そんなところに自分が行けるわけがないもの」
「お金が足りないからそれは買えないわ」
「身分不相応だからそんなものわたしにふさわしくない」
「それはむずかしい」
「○◯さんがなんて言うか…」
「そんなのだれもやってない」
などなどなどなど
いっっっくらでも、
どんどん出てくるでしょう。
たとえ人が
「それはこうすれば解決するよ」
といっても
この時ばかりはスピーディに代替品を用意してきます。
それくらい
そういうタイプの人、
そういう風にこんがらがっちゃうくらいの執念にまみれた願望っていうのは
立ちはだかる壁も、鉄壁のようなのです。
試しに、
そういう人がまわりにいたら
ぜひ新しい解決法とか、「やればいいじゃない」と提案してみてください。
即座に
「でも無理。なぜならば〜」
という結論に導くための
「その人なりの」正論(というベールをかぶせた言い訳)をしてきますから。
そんなに知恵働くなら、
とっくの昔にそれ、できてるでしょう?
と思うんだけどねー(笑)
夢を見ている余地が欲しいのでしょうね。
夢を見ているあいだ、って傷つくことも壊れることもしんどいこともなく、ふわふわできるから。
現実になったときのイメージに
なんらかの恐怖があるのでしょう。
「むずかしい」
と言う人は
自分で難しくしています。
「それができれば苦労はないよ」
と言う人は
自分で答えを言っています。
「それをしたら自分は楽になれて幸せになれる」
っていうこと。
だから
それをしない原因は、やはりその人自身にあります。
「やればいい」
それだけが本当の答えなんだよね。
世の中で流通している思想信念って、
「えー、それ、ほんとーにー!???」
っていう感じのこと、多いの。
そしてあっさり物事が流れて行くこともいっぱいある。
そう言う時は必ず
「自己一致」していること、が最重要なんですけどね
どこかで自分をごまかしていたり
「そうはいっても」なんて思いがあると、
ちょーっと滞りますね。
なので、うちの「ジャギ」に対して
夢がするする叶う方が楽しいと思って語ったこと、
そして響香が自分自身で実際に叶えたことをしたときどうだったか?っていうことや
叶えるために必要なことと
叶えないためにやっちゃってることを整理して
順番に書いていくね。
お願いが長期間あるけれど
ぜんぜんだよー形にならーん、っていう人は
アタマの整理がてら、読み流してみてね。
さてさて、夢を叶える、っていうことに必要なことをちょっとずつ書いていく前に!
わたし、ときどき
自分でテーマ決めて
大映画デーをするんだけど
このあいだ、久しぶりに「なんとなく邦画デー」をしたの。
作業しながら流しておける程度の借りてくるんですが。
それを全部みたあと
たまたまインターネットで「ビリギャル」という映画があったから流していたの。
なんでも、偏差値が低い女の子が大学受験する、っていう映画だった。
受験って、割と10代においての一大イベント的なものだよね。家族も巻き込む。
願望実現に近いものではあると思うけれど、
この映画自体には、個人的にはまったく感動はしなかったなあ。
お父さんが老夫婦を助けるとこだけじーんとした。
簡単に言うと「受験生が受験勉強必死にして合格したよ」っていう映画なんですけど、
高2から予備校行ってれば
どこかしら受かる、
受かっておかしくないでしょ?
それだけやってればさ、っていうのが私の考えです。
週3回も4回も予備校行ってれば、
受からない方がおかしくないか?
最終的に予備校行かなかった私に言わせると、そう思うんだけど。
あとあの映画自体でいうと
学校の先生に「寝たらなにが悪い」というお母さんは
子供を大事に愛している気持ちはよしとしても、なにかずれてるようにも思った。
学校は学校で、先生の描かれ方も、本当にあんななのかな?って思うけれどさ、
学校の時間も大事にしたらいいのにね。
寝るくらいなら行かなきゃいいのに。
退屈だから行かない、って決めてた私はそう思う。
行くんならちゃんとすればいいのに。
それから、あの主人公が
なぜ、大学へ行きたかったのか、っていうことが
まるでわからないから
ひとつも感動ポイントがなく、
慶應という
言い方は申し訳ないくらい悪いけれど、超絶ミーハーな大学を選んでいることも疑問だったし、
ふーん、受験生の話か、程度で終わってしまった(笑)
アマゾンのレビューがあまりにも高評価多くて
ちょっと私には理解できないけれど、感動する人もそれなりにいる、ってことよね。興味深い。
あれくらいの受験生、
いやいや、それどころかもっとやってる受験生なんて
そこらじゅうにごろごろいると思うんだけどな?
むしろ他の受験生の方が
そうとうなドラマを抱えていると思ったけど。
私自身は
高校を留年して4年間で卒業したんですが
大学では夢と睡眠に関する心理学か、哲学、もしくは仏教学を勉強しようと思って
大学受験はするつもりでいたの。
でも、
実家を離れて1人で京都に住もう、っていうことを先に「決めていた」から
お金を貯める時間が必要だったのね。
そこで、いろいろ考えたのです。
どうすれば、楽に簡単に入れるか、っていうことを。
それについて
次は書いてみようかな。
しんどいって、効率悪いしつまらない
楽して合格したかった
響香の大学受験法(笑)
これはすごく見応えあって面白かった。
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